鹿児島県の沖永良部島出身です
私は鹿児島県の沖永良部島という島に生まれました。小学校3年生の頃に父にグローブを買ってもらってからは毎日のように野球をしていました。
そんな私を家族も応援してくれ、それがうれしくて人一倍練習に取りくみ、中学生になった頃にはエースとして県大会に出場できるまでになりました。小さな島なので野球をするには十分な環境ではなかったのですが、自分で練習方法を考えたり、図書館で本を探してはトレーニングの勉強もしていました。
環境には恵まれませんでしたが、自分で考えて練習やトレーニングをした経験が今にも生きているように感じます。
「甲子園に行きたい」という幼い頃からの夢があったので、中学卒業後は島を離れ、鹿児島本土にある樟南高校に進学しました。
樟南高校に進学し甲子園に出場
高校ではほんとうに苦労の毎日でした。
慣れない寮生活、厳しい上下関係、きつい練習、特に1年生の頃は毎日が逃げ出したいくらい辛かったです。何より、同校の野球部は全員が特待生。鹿児島はもとより全国から上手い選手が集まっていて、自分の実力のなさを痛感しました。
それでも、好きな野球を精一杯できている、そして応援してくれている家族がいると思うと辛くても頑張ることができました。その努力は報われ、念願であった甲子園に選手として出場することができました。
人生を変えた肩のケガ
ある日の練習で、ボールを投げると肩に痛みが走り、それは日に日に強くなって次第に声をあげたくなるほどの激痛に。治療にも通いましたが痛みが良くなることはなく、痛みの原因も、どうすれば良くなるのかもわからない状況で毎日暗闇の中にいるような気分でした。
しかし、選手から外されたくないとの思いから練習は我慢しながら続け、最後の夏の大会前は痛みを隠すだけで精一杯の状態でした。そうやって我慢しながら練習していたせいで肩はどうしようもないくらい悪くなり「野球はもう無理だ」と思うようになりました。
当たり前にできていたことができなくなることや、好きなことを続けられなくなるということはとても辛かったです。その頃から「同じような思いをしている選手を助けたい」と考えるようになり、野球での進学は諦め、治療家の道を志すことにしました。
治療家の道へ
高校卒業後は京都の専門学校に進学。
学校の部活でもう一度野球にトライすると、半年ほど休んでいたおかげである程度は投げられたのですが、試合や練習を重ねるうちにまた肩の痛みが再発。やはり肩は治っていませんでした。
痛み止めの注射を打ちながら試合に出ていたのですが、治療の勉強をしているはずなのに、自分では何もできない現状は本当に情けなく悔しかったです。それからは必死に勉強に取り組みました。
整骨院でも野球のケガの治療は人一倍熱意を持って取り組み、自分の肩をきちんと治したいという思いもあったので、ピッチングの研究にも励みました。
自分の肩の痛みを克服
草野球程度で野球を続けていたある日、あることを試してみると肩に痛みが全くない感覚をつかむことができました。
これまで、理論的に負担のかからない投げ方というものは理解していたつもりでしたが、実際に投げてみるとそれを再現することができず、痛みもありました。
しかし、ちょっとしたことを意識しただけで嘘のように痛みがなくなり、その時の感動は今でも忘れません。
表現が難しいですが、それを意識すると時計の歯車がきちんと合わさったような感じで、全身の動きが良くなり、肩がスムーズに動くようになりました。もちろん、ボールのキレや勢いも今まで以上に良くなりました。
今、いろいろなことがわかるようになって改めて考えると何も難しいことではありません。それを意識するだけで、理想的な重心移動ができて、今まで悪かったリリースポイントが修正され、無意識に肩の負担が最小になる「ゼロポジション」投げられたということです。
ピッチング指導の本当の難しさに気づく
その時は「野球肩の全てがわかった!」と思っていました。これなら野球肩をこの世から撲滅できると。
しかし現実はそう簡単ではありませんでした。
実際に、そのやり方でうまくいって私が感じた感動と同じ感動を味わった選手もいましたが、その指導では良くならない選手もいることに気がつきました。
なぜなら、骨格、筋力、柔軟性、体の使い方、フォーム、感覚などは選手それぞれに違いがあるからです。同じようなタイプの選手であれば、その指導で良くなるのですが、それに当てはまらない選手もいるということです。
ピッチングの本質が理解できるように
それからは今まで以上に視野が広がり、だんだんとピッチングの本質が理解できるようになってきました。
例えば、「体の開きが早い」という問題を解決するために、こういう選手はこうすると良くなって、この選手はここを意識すると良くなる、このタイプの選手はこの練習をするとよくなる、というようなことがどんどん分かり、治療や指導の結果にもつながっていきました。
本気で治したい人をサポートするために鍼灸整骨院を開院
しかし、当時働いていた治療院では、なかなかピッチングまでサポートできる環境ではありませんでした。
そこで、野球肩や野球肘で悩んでいる選手を、ピッチングやトレーニングも含めて徹底的に指導できる環境を作ろうと、自分の治療院を開業することになりました。
現在は、痛みやケガの治療だけでなく、MORIピッチングラボを開設し、ピッチングも含めてたくさんの選手や子供たちのサポートができるようになりました。
野球肩、野球肘の治療や、外部でのトレーナー活動なども合わせると、これまで3000人以上の選手のサポートに携わらせていただきました。
京都だけでなく全国の困っている選手や子供のために
そこで私は治療を提供するだけでなく、全国にいる困っている選手や子供たちのためにYouTubeやブログなどで情報を発信したり、遠方の方でもサポートが受けられるようにオンラインでの指導などもおこなうようになりました。
そのような活動も少しずつ認知していただき、
「動画のストレッチをしたら痛みが良くなった」
「動画の練習をしたらうまく投げられるようになった」